1960年代後半から1970年代前半にかけて一世を風靡したグループ・サウンズ(GS)。1961年に結成されたザ・スパイダースはGSの草分け的存在であり、多くのファンの心をつかみレコードはヒットしたが、NHK紅白歌合戦には出られなかった。その理由を元メンバーでベース担当の加藤充氏が明かした。
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あの頃は「寝て起きたらファンが倍になる」日々でした。『夕陽が泣いている』(1966年)を出してから海外に行ったら、その間に日本で人気に火が付いていて、帰国したら羽田空港が大変な騒ぎになっていたこともありました。メンバーだけは目立たないように後ろから出ることになっていたのに、自分だけ知らされてなくて前から出ちゃって、メンバーに怒られましたね。
そうそう、タイガースの5人がまだファニーズと名乗っていた頃は、メンバー全員がスパイダースのファンクラブに入っていたんです。大阪のイベントの時には、皆揃って客席に座っていましたね。終わってからサインや握手もしましたよ。
曲が売れても紅白歌合戦には出られませんでした。当時のNHKの前田義徳会長が「髪の長いのは不良だ」って言って。だから年末にはヨーロッパに行って、色んなグループと一緒になりました。特にスペンサー・デイビス・グループとは仲良くなって、僕らが日本から持っていったヤマハの楽器を、ヤマハに了解を得て、帰りにプレゼントしたこともあります。
海外にはよく行きましたね。映画のロケで、当時はまだ日本人が容易に行けなかったバリ島にも行きましたよ。『スパイダースのバリ島珍道中』っていう作品。大勢出てくれた現地人のエキストラのギャラが煙草1本だったって後で聞かされてビックリしましたね。ヴィレッジ・シンガーズの笹井(一臣)君のお父さんが日活の映画プロデューサーで、スパイダースの主演映画を何本も作ってくれました。