1960年代後半から1970年代前半にかけ、「ザ・スパイダース」や「ザ・タイガース」などグループ・サウンズ(GS)が一世を風靡、若者の心を鷲掴みにした。しかし社会現象とまでなったものの、GSブームは約5年ほどの短命に終わる。あの熱狂と興奮は何だったのか──。1967年に『好きさ好きさ好きさ』でデビューした「ザ・カーナビーツ」ドラム&ボーカルのポール岡田氏が、あの熱く短かった時代を振り返る。
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僕がロック・バンドに興味を持ち始めたのは、ビートルズやローリング・ストーンズが席巻し始めた1960年代中盤。日本ではエレキ・ギター追放運動が教育現場を中心に起きていた時代でした。
滋賀の県立の進学高校に通っていた僕は、1年後輩の長戸大幸(後にZARDやB’zなどを輩出したビーイングの創業者)の誘いで、学校内でロック・バンドを結成、「クラシック・ギター同好会」という偽りの名称で演奏会を敢行しました。
音楽的才能とプロデュース力も備えていた長戸君とは大学に入ってからも一緒に結成したWEEDSというバンドで、大阪のジャズ喫茶「ナンバ一番」や「パラカ」、京都の「ニューデルタ」などに出演したり、審査委員長が浜口庫之助さんだったバンド・コンテストで自分たちのオリジナル曲を演奏して優勝したこともあります。別のコンテストでは、『サティスファクション』を演奏したファニーズに優勝を奪われました。後のタイガースですね。
その後、僕はある音楽関係者の誘いを受け、長戸君の引き留めを振り切って独りで東京へ。しかし、それは辛い試練を課された最悪の時間でした。