セクシャルハラスメントには「対価型」と「環境型」がある。対価型とは、性的な言動に対して拒否や抵抗をした相手に、客観的に見て不利益を被らせるようなパターン。環境型とは、性的な言動により環境が不快なものとなったため、能力の発揮に重大な悪影響が生じるなど看過できない程度の支障が生じるようなときを指す。そんな中、大学の講義が「環境型セクハラ」だと訴えられた。評論家の呉智英氏が、表現の自由、学問の自由、教育の自由の問題と環境型セクハラとについて論考した。
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弁護士ドットコムニュース(二月二十七日)に、お前の喜びそうな事件が出ていたぞと、友人がプリントを送ってくれた。確かにそう言われてみればそうなのだが、単純に喜んでもいられない。現代美術がらみの事件なのである。
現代美術なるものに、私は概して冷笑的である。今これについて詳しく述べないが、三十五年前に晶文社から出たトム・ウルフ『現代美術コテンパン』のようなものが何故日本の美術批評界にはないのだろう。ただし、この本は訳文が感心できない。
さて、事件とは次のようなものである。
昨春、京都造形大東京キャンパスで社会人向け公開講座が催された。講師は現代美術作家の会田誠。この講座を受講した三十九歳の女性が「環境型セクハラ」を受けたとして、大学を相手どり三百万円余りの慰謝料を求める訴訟を起こした、というのだ。
環境型セクハラというのは、教員が学生個人にけしからぬ行為をするのではなく、講義全体がセクハラだったという意味らしい。その講義では、会田自身の作品がスクリーンに映し出されたが、それは、少女が強姦されて涙を流している絵や全裸の女性が排泄している絵で、受講女性は強いショックを受けた。その後も動悸・不眠などの症状が続き、急性ストレス障害と診断されたという。