事務所の「お家騒動」によってマスコミから大バッシングされ、一時はテレビ出演どころか新曲も出せない窮地に陥った小林幸子(65)。そんな「どん底」から復活した小林の胸に響いたのは、サブちゃんこと北島三郎の言葉だった。小林幸子の短期集通連載の第4回は、苦境を脱して初めて気付いたことについて、総括する。
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振り返ってみると、人生、本当にいい時ばかりじゃありませんよね。でも、辛いことのほうが多かったかと聞かれれば、絶対にそうではありません。
もちろん、泣きたいこともありました。でもそんな中にも、楽しいことは必ずあるものなんです。逆に言えば、周りから幸せそうに見えていたって、当の本人には辛いことだってある。皆さんもそうじゃないでしょうか。
10年近く前の事務所トラブルの時も、「辛くなかった」と言えば、正直、嘘になります。スタッフの退社をめぐり、一時、マスコミから激しいバッシングを受けるなど、ちょっとした騒動になりました。
マスコミの風当たりは強く、所属していたレコード会社からの新曲リリースも保留となりました。「CDを出せない」というのは、歌手にとって死亡宣告を受けたようなものですから、その時は絶望のどん底。にっちもさっちもいかなくなりました。
それでも、さだ兄(さだまさし)に新曲を作ってもらったり、インディーズレーベルを立ち上げたりと、何とかこの窮地を脱することができました。