2016年8月に「譲位」のお気持ちを発表された明仁天皇は、今年5月1日の皇位継承によって上皇陛下となられた。戦時下で過ごした少年時代、美智子さまとのご成婚、象徴天皇としての在り方を模索する日々、そして譲位のお気持ち発表――。国民の心に寄り添って歩まれてきた明仁天皇の半生を追うドキュメントコミック『明仁天皇物語』が完成した。原作は『ビッグコミックオリジナル』で連載中の『昭和天皇物語』(作・能條純一氏)にも協力している永福一成氏が担当。古屋兎丸氏の美しく斬新なタッチで、明仁天皇の人生の旅路が描かれる。
明仁天皇の若き日々を中心に綴られる『明仁天皇物語』だが、美智子さまとのエピソードも多く描かれている。お二人は国民に何をもたらしたのか――。原作者・永福氏に、明仁天皇と美智子さまの「夫婦像」について、お話をうかがった。
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――明仁天皇と美智子さまの「夫婦像」を一言で表現するならば、どんな言葉になると思いますか?
永福氏:一言でいえば「仲睦まじいご夫婦」に尽きると思います。美智子さまが民間ご出身であることや、皇室改革に伴うバッシングなどご苦労なさった点が多かっただろうと思いますが、それをお二人で乗り越えられてきたからこそ、ニュースの画像を通じても仲睦まじさが画面からにじみ出ているように感じるのではないでしょうか。
明仁天皇のいわゆる「最後の会見」は、美智子さまへの感謝と労いのお言葉にあふれていました。いつもは冷静に語りかけられる明仁天皇が、珍しく感情を露わにされ、感極まったかのような表情を浮かべられた会見は、見ている私たちの胸を強く打ちましたね。
――民間から初めて皇室に嫁がれた美智子さまは、一体どういう点で画期的だったのでしょうか?
永福氏:これは時代背景が大いに関係していると思います。高度経済成長に伴いお茶の間にテレビが浸透しました。その結果、美智子妃(及び皇太子一家)の動静は常に国民の目にさらされることになりました。
ご婚約内定以来、爆発的なミッチー・ブームが日本中を席巻。美智子妃の生家である正田家は今でいうところのセレブで、決して庶民的な一般家庭ではありませんが、それでも一般国民と同じ“民間”出身ということで圧倒的な国民の支持を受けました。
従来通りの旧華族・皇族出身の妃であれば、これほどの関心と支持は得られなかったと思います。もっとも、過剰なバッシングにさらされることもなかったかも知れませんが。
画期的だったのは、美智子さまがというよりもご結婚当初の明仁皇太子殿下・美智子妃殿下のご夫婦の在り方なのではないでしょうか。私たちはつい「天皇皇后両陛下」とお二人を合わせてお呼びすることが多いですが、それはお二人がいつも連れ立ってご公務をなさっているのを見慣れているからで、本来は天皇陛下と皇后陛下(あるいは皇太子殿下と妃殿下)は別々に行動するものでした。「行幸」と「行啓」で言い方も違います。
戦前の天皇は主に軍事施設視察や演習の統監、皇后は紡績工場視察や福祉施設訪問と役割分担されていました。戦後は軍事的な視察はなくなり、特に両殿下は、お二人で障がいを持った人の施設などに慰問に行かれることが多かった。もちろん、こうしたいわゆる「平成流」は美智子さま以外ではあり得なかったでしょうね。