しばしば社会問題などに関する発言もし、そうそうその通りと個人的に同感することの多いカンニング竹山も、6月25日に投稿した以下のツイートはいかがなものか。
〈反社会的勢力から出版社がもしスキャンダル等々の写真やデータを買っていたとしたらまずそこが一番の問題だと思う。反社会的勢力と一緒になってビジネスをし繋がっている会社と言う事になる。もし買っていたとすれば誰から幾らでどんなルートで買ったのかを世間に説明する必要があるのでは?〉
これはつまり、今回の騒動の発端となった記事の制作者である『フライデー』ほかの雑誌を批判しているわけだが、どうしちゃったのだろう、竹山氏。
それが政治家の汚職問題であれ、芸能人のスキャンダルであれ、あらゆる報道にはネタ元がある。そして、多くの場合、そのネタ元は匿名であり、媒体側は匿名性の保持を固く約束することでネタの詳細を得る。ネタによっては金銭のやり取りが発生する場合もあるが、匿名性の保持の観点から〈誰から幾らでどんなルートで買ったのかを世間に説明する〉ことなど、できるはずがない。そんなことをしたら、報道活動自体が成り立たない。
犯罪でもないのに、人の裏話を反社会的勢力と取引して得て商売をしている雑誌のほうも偉そうなこと言えないんじゃないの?という感覚ならわかる。芸能人のスキャンダルなどを暴くのに大義はほとんどない。ゲスの好奇心を刺激して商売をしたいという欲があるだけだ。ゆえに、そうした雑誌が正義を躊躇なく語ってはいけない。それはそうなのだが、そこさえ外さなければ、報道は自由であるべきで、その自由を支えるためのネタ元の匿名性の保持は肯定されて然るべきなのだ。
話が少し散らかってしまったが、宮迫博之以下の面々が「もらっていません」と、まるで口裏を合わせたようについた軽々しいウソ。そこには「つい保身で……」などの言い訳では納得できない、
ナメた態度がある。このたびの騒動で一番問題なのはそこであり、そこをどれだけ自覚、反省できるのかが、当該芸人たちの頑張りどころなのだと思う。