父の急死で認知症の母(84才)を支える立場となったN記者(55才・女性)。母の認知症の悪化で、「なんでこんなに変わってしまったの…」と打ちひしがれていた私に、「おばあちゃんはそんなに変わってないよ」と声をかけてきたのは当時高校生だった娘だった。
かつて母の認知症が激化し、心身ともに打ちのめされていた私に「おばあちゃんはそれほど変わっていないよ」と言ったのは当時、高校生だった娘だ。つい監督責任などと意識してしまう私にはない、自然で心やさしい視点があるのだ。
「おばあちゃん、本当はさびしいんだって」
母のところへ用事を頼んでいた娘のSが、帰宅するなり言った。父が亡くなり、母が独居になってから6年。私と家族の“お客さん”になるのは嫌だと、独居を選んだ決意は母の口から聞いたが、こういう本音を聞くのはいつも娘経由だ。
正直、おもしろくはない。今の母を支えているのは私なのだ。父の葬儀から相続の手続き、認知症の検査を受けさせて介護保険の申請をして、母の住んでいた家を泣きながら片づけ、老人ホームなど施設をいくつも回って今のサ高住(サービス付き高齢者住宅)を見つけて引っ越し。
ケアマネジャーさんと相談して生活をプランニングし、母の年金や生活費、介護費の収支を管理。かかりつけ医を探し、内科と精神科と歯科の定期受診に付き添い、薬局で処方薬を取ってきてお薬カレンダーにセット。
洗髪を忘れるようになれば、毎日、電話をかけて「頭洗って!」としつこく促し、会うたびに同じ服を着ていれば「もう夏の服装にしないとおかしい」と意地悪く指摘し、暑い日にエアコンをつけないと「熱中症になっちゃう!」と叱りつける。
推し量れば母の気持ちもわかるが、私だって「母を守ろう」という情と「責務をこなそう」という責任感との間を、行ったり来たりしているのだ。
その点、娘は気楽な立場。母が要介護になる前も後も変わらずかわいい孫娘。今は大学生になり、頼りにもなる。外出先で手をつないだり、昔の恋愛話ではしゃいだり、私には全然しないことを娘とは躊躇なくする。少しばかり嫉妬に似た気持ちになるのだ。
6年前、母の物盗られ妄想や暴言がひどかった時、私は目の前の出来事が受け止められず、大いに苦しんでいた。そんな中で当時高校生だった娘は、母と私の過熱する渦中を避けつつ、緩くテキトーな感じで間を取り持ってくれた。ある時、大きなため息をついた私に娘がこう言った。