新たな伝説が日本の芸能史に刻まれた。嵐が6月26日にリリースしたデビュー20周年記念のベストアルバム『5×20 All the BEST!! 1999-2019』が初日売上72.9万枚をマーク。4年前に発売した自身のアルバム『Japonism』の41.3万枚を大きく上回り、男性アーティストの初日売上枚数の歴代最高記録を更新した。
現在も売れ続け、2日後の28日には100万枚を突破。令和初の「ミリオンアルバム」となった。
名実ともに日本のトップアーティストとなった嵐だが、彼らにも、短くない不遇の時代があった。嵐のメンバーたちを発掘し、磨き、「過去は振り返るな。YOUたちには未来しかないんだよ」と励まし続けた男の存在があってこそ、嵐は国民的アイドルに成長できた。
嵐の所属するジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川さん(87才)。日本一有名な芸能事務所の社長兼プロデューサーとして、その名前を知らない人はいない。だが、「裏方」として表舞台に立つことを好まないジャニーさんの素顔は、一般にはほとんど知られていない。
デビューするグループの最終メンバーを決めるのは、いつもジャニーさんだった。嵐も例外ではない。嵐の結成前、Jr.メンバー時代の松本潤(35才)と二宮和也(36才)がリハーサルでNHKを訪れると、中学生の男子がバレーボールをやっていた。
「(その場にいた)ジャニーさんに“YOUたちもやんなよ”って言われて2人でラリーをやり続けていたら、“YOUたちすごい。めちゃめちゃうまいじゃん”“1999年にワールドカップバレーのイメージキャラクターをまたやるからYOUたちやればいいじゃん”って」
嵐がW杯バレーのイメージキャラクターとして結成されたいきさつを、かつて松本はテレビでこう語った。
松本と二宮に、櫻井翔(37才)と大野智(38才)が加わって4人になったメンバー。当初、最後の1人として候補に挙げられたのは、現在は関ジャニ∞のメンバーである村上信五(37才)だったという。
しかし、最後の最後にジャニーさんが選んだのは、相葉雅紀(36才)だった。
「デビュー直前にメンバーが振り付けしている現場にジャニーさんが来て、二宮くんに“YOU、相葉とずっと一緒にやっているのに、入れてあげなきゃかわいそうじゃん”と言ったんです。相葉くんの嵐入りが決定したのは、デビュー会見の3日前でした」(芸能関係者)
一見、その場のひらめきによる発案のようだが、実はジャニーさんの人選は計算し尽くされたものだという。