ネット社会の到来によって、情報の持つ意味、価値は変化している。コラムニストのオバタカズユキが、はからずも起きた痛ましい事件について考察した。
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7月5日、埼玉県所沢市で、中学2年生の男子生徒が同級生に刃物で刺されて亡くなる、という事件がおきた。報道によれば、加害者宅で期末テストの勉強を一緒にする予定が、「教科書のことで喧嘩になった」とのこと。〈県警は、これまでのところ学校内で2人のトラブルなどは確認していないとしている〉とも報じられた。
中学生が同級生を殺めてしまう事件は、これまでも幾度となく発生している。ありふれた事件とまでは言わなくとも、前代未聞の異常な事件というほどのものではない。報道に対するネット上の反応も、わりと落ち着いた感じだった。
ただし、この事件には当初から引っ掛かりを覚える点もあった。事件そのものの内容ではなく、事件報道の仕方に疑問を感じたのである。ここでは「△△△△」という伏字を用いるが、殺人の疑いで送検された14歳は少年法に守られ匿名扱いだったものの、殺された被害者の13歳のほうは実名報道だったのである。
被害者なのだから実名でも問題はないか。いや、そうは一概に言えないだろう。この事件の場合、「教科書のことで喧嘩になった」ことから刃物沙汰になってしまったようだが、そこには二人の中2生同士の間になんらか問題のある関係性が存在したに違いない。どんな関係性だったにせよ、殺人が許されないのは当然だとしても、そこに至るまでの過程で一方的に加害者が悪く、被害者には何の問題もなかったということは考えにくい。
一般論として、というか、常識的に考えて、喧嘩には双方の言い分があり、どちらにも非があって当然なのだ。だとしたら、被害者の実名を明かすのは危険ではないか、と、一報に接してまず思った。
そして、それから3日後の7月8日、以下のような報道が多くの媒体で流れた。
〈殺人未遂容疑で逮捕された同級生の少年(14)=殺人容疑で送検=が「以前教科書を隠され、問い詰めたが否定されたのでけんかになった」という趣旨の供述をし、△△さん(記事中は実名)とのトラブルについて学校に相談もしていたことが、捜査関係者や市教育委員会への取材でわかった〉(朝日新聞デジタル)
まずい流れである。被害者が加害者にいやがらせをしていた、加害者はそれに悩み学校にも相談していた、と読める報道内容だ。つまり、殺されたほうにも問題があった。そのこと自体、別段、不思議ではない。だが、その彼はすでに実名報道されている。匿名の加害者よりも個人情報が詳細に明かされており、赤の他人である読者の好奇心やもろもろの感情を喚起しやすい。
案の定、この二段階目の報道を受け、ネット上での反応の風向きが変わった。例えば、以下のようなツイッターの書き込みが急増した。
〈△△△△って奴が逮捕された少年をいじめてたらしい。いじめてたなら刺されて死んでも文句いえないね。てことでざまぁ〉
〈所沢の中学生刺殺事件だけど、どうやら被害者はイジメっ子だったみたいだのう。 殺しちゃった方の罪は罪で変わらないけど、圧倒的被害者面してた被害者の両親には巨大なブーメランだな。 イジメはするだけで殺人未遂と同等だからな〉