2009年8月に自宅で“孤独死”した大原麗子さん(享年62)の位牌は、東京・三鷹の住宅街に建つ古刹の永代供養墓に並んでいる。今年は没後10年の節目とあって、メディアでは多くの追悼特集が組まれているが、触れられていない秘話がある。大原さんが“姉”と慕った国民的歌手・美空ひばりさん(享年52)との交友だ。大原さんの付き人を40年にわたって務めた佐藤嘉余子氏(85)が、ひばりさんの晩年に寄り添っていた大原について振り返る。
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〈1987年4月、重度の慢性肝炎と突発性大腿骨頭壊死症の療養に入ったひばりは、1988年4月、東京ドームの「不死鳥コンサート」で復帰。1989年2月6日、「歌は我が命」と銘打ったツアーを福岡でスタートさせた。だが、翌2月7日、九州厚生年金会館(北九州市)でのコンサートが、最後のステージとなった。〉
麗子さんは最後のコンサートにも行っていたんです。自分でチケットを購入して。青山にあったお気に入りのお花屋さんで大きな花束を作ってもらって、それを持っていきました。会場に着くと、麗子さんは「この花束、いつ渡せばいいのかしら」って悩んでいたみたい。
だけど、舞台裏ではそれどころではなく、ひばりさんが倒れるかどうかという大変な状態だったそうです。結果的にあれがラストコンサートになってしまったんですけど……。
〈1989年6月13日、ひばりは間質性肺炎による呼吸不全で重体に陥り、24日に帰らぬ人となった。〉
麗子さんはひばりさんが亡くなる直前にも病院にお見舞いに行っていたんですが、「カヨさん、お姉さんの目は、もうこの世の目ではなかった。あっちに行ってしまっていた」って泣くんです。ひばりさんの死を感じたのでしょう。