高校3年にして163キロを投げ、メディアとファンの注目を一身に受ける岩手・大船渡の佐々木朗希(17)。その注目度に比して、来歴や素顔はあまり知られていない。『永遠のPL学園』(小学館文庫)などの著書があるノンフィクションライター・柳川悠二氏が、関係者の証言を集めた。
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岩手・大船渡の佐々木朗希の視察に、一目でそれと分かるスーツ姿の大男たちが何十人とやってくるのは、もはや見慣れた光景だ。そして、令和の怪物が降板するや、ゾロゾロと引き上げていく。6月に会った、あるプロ野球のスカウトは言った。
「これ以上、彼のピッチングを見る必要はない。163キロを投げた素材としての魅力は十分に把握している。球数や登板間隔に配慮するあの(國保陽平)監督さんなら、故障の心配もない。ドラフト1位? 当然、そうなります」
この夏の高校野球の主役は、4月のU-18高校日本代表一次候補合宿で163キロをマークした佐々木だろう。190センチの長身から投げ下ろす剛速球だけでなく、スライダーやチェンジアップなど、変化球も器用に操る。甲子園出場経験こそないものの、岩手が生んだ菊池雄星(現・ドジャース)、大谷翔平(現・エンゼルス)に続く怪物として、16日に初戦を迎える岩手大会には大きな注目が集まっている。
しかし、学校側がグラウンドへの立ち入りを禁止し、試合後の取材も厳しく規制しているため、佐々木の素顔や育った環境に関しては、いまだベールに包まれたままである。分かっていることといえば、2011年の東日本大震災の津波で父と祖父母を亡くし、生まれ育った陸前高田市から大船渡市に移り住まざるを得なかったという悲しい過去である。
「お父さんのことは、誰も詳しくは知りません。同じ被災者として、家族に起こった出来事を軽々しく聞くことはできません」
そう話したのは、佐々木が大船渡第一中学の2年生だった1年間、野球部の部長を務めた志田一茂氏だ。当時(2015年)の大船渡第一中学のグラウンドにはまだ仮設住宅が建ち並び、野球部の練習はその脇にある空き地のような場所で行うことしかできなかった。