父の急死で認知症の母(84才)を支える立場となった女性セブンのN記者(55才・女性)が、介護の日々を綴る。
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母の認知症が進んだなと思うのは、服装への関心が失せてきたことだ。贅沢品ではないが工夫しておしゃれを楽しむ人だったのに、今ではいつも同じ黒かグレーの服。しかし、デイサービスの遠足イベントの前日、久々に鏡の前でキラリと目が輝いた。
◆「センスがいい」のひと言が母のプライド
昭和ひと桁生まれにしては、母は現代的なカジュアルファッションも存分に楽しんでいる方だ。服の仕立てを生業にしていたこともあり、私が子供の頃は、よく母娘そろいのワンピースなどを作ってくれたし、背が低い自分のためには、既製品のサイズ直しのついでにしゃれたボタンや飾りに付け替えたりしていた。
年を取ってからも、若者向けの雑貨店をのぞいては、てらいなくアクセサリーを選び、装いに取り入れていた。たまにはデパートで上等な服も買い、70代前半のある時には、深紅のスーツを買ってこんなことも言っていた。
「顔が生き生きしている若い頃は地味な色の服の方が映えるのよ。年を取って肌の色艶が悪くなったら派手な色。やっとこういう赤が似合うようになったわ」
そしていつのことか、近所の人に「Mさん(母)、センスがいい。いつも素敵ね」と言われたことがかなりうれしかったらしく、認知症になってからもついさっき言われたかのように何度も自慢するのだ。
◆鏡はおしゃれがよみがえる魔法!
そんな母も加齢と認知症には抗えず、おしゃれへの意欲はずいぶん落ちた。3食ともサ高住内の食堂で食べるので、かろうじて朝、起きると外向きの服装に着替えるのだが、いつも決まった黒かグレーのTシャツ。たんすの中身を季節ごとに入れ替えないと、真夏に毛糸のカーディガンを着てしまうこともある。
たまに一緒に出掛ける時には「せっかくだからおしゃれしよう」などと急き立てないと、ヨレヨレの黒いTシャツのまま出掛けようとする。でも、街を歩くうちにスイッチは入るようで、ブティックに寄ったりして楽しそうにするので、私も必死で母のスイッチをガチャガチャと押すのだ。
先日もデイサービスで、横浜(神奈川県)のおしゃれな街、元町を散歩するというイベントがあり、私は前日の夜、母の服選びをしに、母の部屋へ乗り込んだ。
朝、母ひとりでよそ行きの服を選ぶのはまず不可能なこともあるが、私が小学生の時、遠足の前日に流行りのベルボトムのジーンズを買ってもらい、天にも昇るほどうれしかったことを思い出したからだ。