令和皇室がスタートして3か月、おめでたいニュースが飛び込んできた。高円宮家の三女である守谷絢子さん(28才)が懐妊したという。
「娘思い」で知られた高円宮さまが亡くなられたのは2002年。47才という若さだった。飾らず気さくな性格で、いつも国民と皇室とをつなぐ接点になることを願われていたという。そんな高円宮さまが、天皇陛下と雅子さまの“橋渡し役”になられていたことは、よく知られたところだ。
1986年、当時の東宮御所(現・赤坂御所、東京・元赤坂)で、来日するスペインのエレナ王女を歓迎するレセプションが開かれた。当時、父の小和田恆(ひさし)氏が外務省幹部だったため、雅子さまも招待されていた。
「当時皇太子だった陛下は、そこで雅子さまに一目惚れされたそうです。おふたりの距離を縮めようと腐心されたのは、高円宮さまでした。高円宮さまは陛下の6つ年上。陛下が“兄”のように慕われ、よき相談相手だったそうです。レセプションの翌年、高円宮さまが自邸におふたりを招いてホームパーティーを開き、お話しできる機会を作られたそうです。その日は深夜12時過ぎまで、陛下と雅子さまのご歓談が続いたといいます」(皇室ジャーナリスト)
両陛下と高円宮家の特別な絆は、今日まで続いている。愛子さまが幼い頃には、ご一家でたびたび高円宮家を訪れ、高円宮さまの3人の娘たちと一緒に遊んでいたという。
昨年10月末、高円宮家の三女の絢子さんが、「日本郵船」社員の守谷慧(けい)さん(33才)と結婚した時も、その関係が垣間見えた。
「絢子さんが結婚の報告のため、東宮御所を訪れた際は両陛下がそろって出迎えられ、お祝いの言葉を伝えられたそうです。陛下が絢子さんの結婚披露宴の乾杯の挨拶に立たれた時には、愛子さまと絢子さんのエピソードを披露されたほど、両家の結びつきは強い。愛子さまが参加された学校の水泳行事を卒業生である絢子さんが助手としてサポートし、生徒の人気者になったという話を、雅子さまは目を細められながら聞いていました」(宮内庁関係者)
◆「平成最初の子」と「令和最初の子」