8月6日開幕の「令和最初の甲子園」は、新時代に相応しい激動の大会となる。高校四天王と呼ばれたドラフト候補の投手のうち、甲子園出場を果たしたのは星稜高校3年の奥川恭伸(やすのぶ)だけだった。ノンフィクションライターの柳川悠二氏が、ビッグ4と呼ばれる豪腕4投手についてレポートする。
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波瀾の地方大会を象徴するように、高校四天王ともビッグ4とも呼ばれたドラフト候補の敗退が相次いだ。
最初に姿を消したのは横浜の153キロ左腕・及川雅貴。準々決勝で旋風を起こした県立相模原に3番手で登板するもリードを守り切れず、1回で3失点。
U-15侍ジャパンのエースだった中学時代から注目を集めた逸材だが、「高校1年生の頃が一番良かった」というスカウトの声もあり、ドラフトの評価は分かれるところだ。
岩手では令和の怪物こと、最速163キロの190センチ右腕・佐々木朗希(大船渡)が、決勝の花巻東戦で登板することなく、最後の夏を終えた。その起用法は、全国的な話題にもなった。
そして岡山・創志学園の西純矢。昨夏、相手を威圧するようにマウンドで咆哮し、高野連にお灸を据えられた西だが、今年は優等生に変貌。敗れた準決勝・倉敷商戦の9回に打席に入ると、球場から温かい拍手が送られた。
「これまで良く思われていなかったこともあると思うんですけど……拍手は嬉しかったです。(昨年の甲子園で受けた)批判があったからこそ、今の自分がある。甲子園は、考え方や努力が一番じゃないと出られない場所。自分に足りないものがあったんだと思います」
晴れやかに潔く。敗戦を冷静に受け止め前を向いた。