戦後日本の政財界には、「フィクサー」と呼ばれる男たちが裏で蠢いていた。だが、この男はスケールが違う。イトマン事件、石橋産業事件など名だたるバブル経済事件でその名が取り沙汰された許永中は、政財界から巨大商社、銀行、メディア、そして闇社会まで、あらゆる世界で隠然たる力を持ち、魑魅魍魎の間を縦横無尽に駆け抜けた。
許永中氏(72)は、いかにして「戦後最大のフィクサー」となったのか。財界人との交流の裏にあった在日人脈、そして社会を騒然とさせた「保釈中の失踪」について、初めて明かした。
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慰安婦問題、徴用工に輸出規制と、今日の日韓関係は戦後最悪といっていいでしょう。そこには政治的意図もありますが、反日嫌韓を煽られて最もつらい思いをしているのは誰か。それは在日韓国・朝鮮人です。双方の悪意がぶつかる接点に立たされ、理不尽な怒りを向けられることもある。日本で生まれながら日本人扱いされず、母国に帰っても韓国人とはみなされない。歴史に翻弄され続ける孤独な存在です。
しかし、日韓の“狭間”で生きてきた我々在日だからこそできることも、またある。戦後日本で在日がどのように生きて、これから何を成せるのか。私の半生を語ることで、それが伝わればと願っています。
〈7月初旬、韓国・ソウルのホテルの一室で口を開いた男性は、在日韓国人実業家の許永中氏。1991年にイトマン事件、2000年に石橋産業事件(いずれも後述)で逮捕、有罪判決を受けた、「戦後最大のフィクサー」と呼ばれた人物である。