映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、俳優の横内正が、満州で育った幼少期から俳優座を受験して俳優修業をしていた思い出を語った言葉についてお届けする。
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横内正は一九四一年、旧・満州の大連で生まれている。
「ウチの父は音楽家で、大連で『カジノ』というクラブを経営していたんですよ。そこには淡谷のり子さんらが足しげく通われていて、歌を披露していました。そういう環境で育ったものですから、先は芸術、芸能の道に行く予感はありました。
それで小学四年生の時に──当時は鹿児島にいたのですが──NHKの鹿児島放送局にある児童劇団に所属しましてね。大人にまじっていろいろとラジオドラマに出演しました。貧しい家庭だったものですから、そのギャラが僕の学費になるということで、自分なりに自立した意識で過ごしていました」
六〇年に上京、俳優座養成所を受験している。
「中学の時にエリア・カザンの映画『エデンの東』を観て、お芝居というのはこんなにも人を感動させる魅力的なものなのかと感じ取りましてね。主演のジェームズ・ディーンのプロフィールを調べてみたら、出身校がアクターズ・スタジオという俳優の専門学校だと。
それに準じる学校が日本にないかと思って調べた結果、一番知られているのが六本木にある俳優座の養成所でした。でも、一回目は不合格だったんです。こちらは地方から出てきた田舎の学生でしたが、周りはモダンで格好いい、日本をリードしているようなスター候補生が山のようにいる感じで。それに囲まれて圧倒されてしまいましたね。
普通ならそれで諦めるところですが、僕もちょっとこだわりが強かったから、もう一回やってみようと思いまして。
俳優は『なりたい』と思ったら誰でもなれる時代ではなくて、ちゃんとした順番を踏まない限りはなれないという思い込みもありました。そのためには俳優の基礎を学ぶ。それをクリアしない限りはプロになれないと思っていましたので、なんとか俳優座養成所に入りたかった」