あいちトリエンナーレの企画展「表現の不自由展・その後」の中止騒動は、なかなか収束の気配を見せない。評論家の呉智英氏が、表現の自由・不自由とは本来、どういったものなのか、事例をあげながら解説する。
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八月一日から始まったあいちトリエンナーレの企画展「表現の不自由展」騒動が今も続いている。議論の中心にあるのは慰安婦を象徴する「少女像」だが、これ、いつ表現が不自由になったのか。
少女像はソウルの日本大使館前に二〇一一年から堂々と設置されている。しかも公道にである。これ以外にも韓国各地に、さらにアメリカやドイツにもいくつか設置されている。日本でも、公道や公有地は当然駄目だが、韓国大使館の玄関や会議室なら設置は自由である。個人の家でも全く自由だ。二〇一二年に東京都美術館で開催された国際交流展だけが、特定の政治思想に関連するとして、これを撤去した。国際交流の本義にも反するはずだ。要するに、趣旨が違うから撤去したのである。
こうした少女像のどこが「表現の不自由」なのか。津田大介ら破廉恥な運動家連中がわざわざここで表現の不自由を作り出したのだ。ありもしない交通事故を作り出す「当り屋」商売と同じである。
本当の「表現の不自由展」なら、是非やってもらいたい。本欄でも指摘してきたように、戦後七十余年一貫して表現が不自由になっているからだ。いくつか例を挙げる。
舟越保武(ふなこしやすたけ)は二十世紀日本の美術界を代表する彫刻家である。子息の舟越桂も著名な彫刻家だ。その舟越保武の最高傑作『病醜のダミアン』が、これを所有する埼玉県立近代美術館で公開展示できなくなった。一九八四年のことである。その後、鑑賞希望申請者のみ別室で鑑賞できるようになった。十五年後に『ダミアン神父像』と改題してやっと公開展示が可能になる。
これは病気への偏見を助長し差別しているという声が出たからである。舟越の制作意図とは正反対の“抗議”に屈服したのだ。