今年の夏の甲子園は大阪の履正社の優勝で終わったが、過去の甲子園で優勝したチームのエースは今、何をしているのか? 多方面で活躍する今を追った。(文中敬称略)
昭和49年(1974年)、“黒潮打線”が爆発し、5試合を抜群のコントロールで失点1に抑えて甲子園優勝投手となった銚子商業の土屋正勝(62)には、もうひとつ勲章がある。“江川卓に勝った男”。
「大船渡の佐々木朗希投手が騒がれているけど、江川さんのほうが凄かったから」
高校2年の夏の甲子園2回戦で江川卓の作新学院と銚子商業が対戦。雨中延長12回押し出し四球による1対0で銚子商業がサヨナラ勝ちをした試合は今も伝説として語り継がれている。
「江川さんが初めて2桁奪三振に届かなかった試合で、あの試合は自分でも球が速かったと思う。13奪三振だっけ。もうその後は肩肘がダメだったからね」
その後、全国各地からの招待試合で投げ続け、とうとう夏前にパンク。最後の夏の甲子園期間中でも東京に戻って治療していたほど肩肘は限界に来ていた。
「自慢できるのは、甲子園で通算10勝したことだよね」