あの甲子園優勝投手は今、何をしているのか? 多方面で活躍するかつてのエースたちの今を追った。(文中敬称略)
たった1失点で投げぬいた優勝投手が、平成4年(1992年)の夏の大会で優勝した西日本短大付属の森尾和貴(45)だ。
「当時、強豪だったPL学園、近大付属と練習試合をやっても勝っていたので、甲子園に出場さえできれば勝負になるってずっと思ってました。誰かに言ったわけではありませんが、優勝を目指してやっていたのは確かです」
平成4年、西短大付属のエース森尾和貴は、優勝までの全5試合をたった一人で投げ抜いた。5完投4完封1失点防御率0.20は、戦後において昭和23年、小倉の福島一雄の全試合完封に次ぐ記録である。
この夏の甲子園は、星稜の松井秀喜(元巨人)の明徳戦5打席連続敬遠が物議を醸した大会でもあった。
「あの試合後は確かに甲子園がざわついてましたね。宿舎でもちょっとだけ話題になり、『俺なら打たれて記念になってもいいから勝負するよ』とナインに話した覚えがあります」