8世紀の日本の首都、奈良にあった平城京の北端にあった宮城である平城宮は、現在、国営平城宮跡歴史公園として整備と復元がすすめられている。南側の朱雀門をくぐると、まっすぐ正面に大極殿があるのだが、手前を左右に近鉄奈良線の線路が走っている。この線路の移設問題は50年以上前に提起され、世界遺産指定後に再び協議が始められた。昭和から平成、令和へと持ち越された平城宮敷地内の線路移設問題の現在について、ライターの小川裕夫氏がレポートする。
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今年7月に開催されたG20大阪サミットで、安倍晋三首相が気の利いたジョークのつもりで発言した「大阪城にエレベーターを設置したことは大きなミス」は一部で話題になった。
大阪城築城当時、当然ながらエレベーターという文明の利器はない。バリアフリーという概念もない。
「歴史遺産として後世に伝えるためには、当時を忠実に再現するべき」派と「現代の価値観に沿って、使いやすいように整備した方がいい」派による議論が起こった。
これは、歴史的建造物などを保存する際に必ず直面する問題だ。それは、鉄道分野でもたびたび起きている。特に、歴史のある京都・奈良では、こうした問題があちこちで噴出する。
奈良県奈良市の平城宮跡は、1998年に東大寺・興福寺・春日大社などとともに古都奈良の文化財として世界遺産に認定された。古刹が点在する奈良市は、従来から多くの観光客が訪れる。それでも世界遺産認定は、奈良にとって追い風になる。世界遺産登録は、奈良県や奈良市を大いに沸かせた。
世界遺産登録の歓喜に沸く一方、課題も鮮明化した。それが、平城宮跡地を横切る近鉄奈良線の移設問題だった。
近鉄奈良線は、前身の大阪電気軌道(大軌)が1914年に建設。その前から、線路の予定地に平城宮跡があることは判明していた。それらを考慮し、大軌は平城宮跡を避けるように線路を敷設した。そのため、大和西大寺駅から近鉄奈良駅までは線路が南へとカーブしている。