各界の昭和スターたちが集った六本木の伝説のゲイバー「吉野」。この店で38年間ママを務めた吉野寿雄氏(88)は、芸能界だけでなく、スポーツ界や文壇にいたるまで幅広い交流を持っていた。吉野ママが昭和の文豪、三島由紀夫との交友録を明かす。
* * *
「いつまでも綺麗なよっちゃんへ」って書かれたサイン入りの単行本を突然、三島由紀夫先生から渡されたの。そこで、初めて先生の小説『禁色』に登場しているって知ったのよ。
〈『禁色』とは1951年に発表された作家・三島由紀夫の初期の代表作だ。女に裏切られ続けた老作家が同性愛者の美青年・南悠一と結託して女への復讐を企てる物語で、当時では同性愛という“社会的禁忌”を正面から取り上げた作品として大きな反響を呼んだ。
作品内で登場するゲイバー「ルドン」では、紳士たちと美青年との交歓が描かれているが、そこに吉野ママがモデルとなった人物が登場する。常連客で「自分ほどの美少年はいないと思っている」オアシスの君ちゃんだ〉
三島先生が私のことを勝手に書いたのよ! 私、自分のことを「美少年」だなんて言ったこともないんだから(笑い)。
◆通っていたのは取材のため
〈美術評論家の青山二郎、時代小説作家の村上元三など、名だたる文豪たちと交流があった吉野ママ。中でも、特に深い付き合いがあったのが三島だ。2人の出会いは終戦間もない頃。当時吉野ママが客として通っており、『禁色』に登場するゲイバー「ルドン」のモデルになった銀座の喫茶店「ブランスウィック」でのことだった〉