8月2日、日本が輸出管理上の優遇対象国(ホワイト国)から韓国を除外することを閣議決定すると、文在寅・大統領は「盗人猛々しい」「私たちは十分に日本に打ち勝てる」と日本を強く批判した。だが、国交正常化以降の歴史を見ていくと、韓国の歴代大統領は時に「反日」、時に「親日」へと揺れ動いてきた。その振れ幅が日韓関係に及ぼした影響とは──。
1965年の日韓基本条約の締結の際、佐藤栄作・首相のカウンターパートが朴正煕・大統領(在任期間は1963~1979年、以下同)だった。
1961年5月に軍事クーデターで政権を奪取した朴氏は、翌月にはパーティの席上で「昔のことは水に流して国交正常化するのが賢明だ」(2012年5月19日、読売新聞)と公言。日韓交渉を進める方向に大きく舵を切る。その結果、日本から無償3億ドル、有償2億ドルの経済支援を引き出した。産経新聞ソウル駐在客員論説委員の黒田勝弘氏が解説する。
「当時は韓国より北朝鮮のほうが経済力で優っており、反共のために韓国も急いで経済力をつけなければならなかった。資金の協力を得られるのは日本しかなかった。根強い反日感情から韓国国民は猛反発したが、現実を重視した朴氏は戒厳令を敷いてデモを制圧し、国交正常化に踏み切った」
この時の5億ドルを日本の政財界が利権化したわけだが、韓国も「漢江(ハンガン)の奇跡」と呼ばれる経済成長を遂げ、朴氏のクーデター時に80ドルだった1人あたり国民所得は、1979年には1200ドルへと飛躍的に伸びた。