イギリス議会が揺れている。10月末でのEU離脱を強行したいボリス・ジョンソン首相側と、離脱を延期したい議会側の対立が続いているからだ。議会は10月14日に再開されるが、予断が許されない状況が続く。歴史作家の島崎晋氏は、「イギリスがEU離脱を19世紀の外交方針『栄光ある孤立』に重ねるのはとんでもない思い違い」と指摘する。
* * *
イギリスのブレグジット(EUからの離脱問題)がどういう着地点を見出すか、世界中が注目している。世界経済に与える影響が大きいと予測されるからだ。
それでも英国内でブレグジットが支持を集めているのは、 “過去の栄光”をあまりに理想化している人びとが多いからでもあるだろう。「繁栄の時代」と称された19世紀後半を生身で体験した人などもう存命してないにもかかわらず、だ。
イギリスは1815年のワーテルローの戦い以降、どの国とも同盟を結ばない「栄光ある孤立」を外交方針としていた。1902年に日英同盟、1904年に英仏協商、1907年に英露協商が締結されるまで、オスマン帝国領を除いてヨーロッパ大陸の政治や軍事に関わることを極力避けていたのである。
そのような政策が可能だったのは世界最初の産業革命のおかげで、自由貿易のネットワークを全世界的に確立できたからだ。1851年のロンドン万国博覧会を境に「世界の工場」としての恩恵が労働者階級にも行き渡り、中流階層が急成長を遂げることになった。イギリス全体が「繁栄の時代」に突入したのである。
しかし、その繁栄のピークは長続きせず、1873年、ドイツ発の大不況の影響は深刻で、工業生産力では米国とドイツに抜かれ、ロシアやイタリア、日本の猛追にも晒されることとなった。圧倒的な海軍力を背景とした海運業での優越的地位にも陰りが見え始めたが、それでも、対欧米諸国の貿易赤字は対インド投資と極東、オーストラリア、オスマン帝国相手の黒字で補填することができた。
一方で、同時期のイギリスは最強の国際通貨・英ポンドの力を背景として「世界の工場」から「世界の銀行家」「世界の手形交換所」へと様変わりを果たした。資本輸出による利子・配当収入のおかげで、世界資本主義体制の中核としての地位を占めていた。保険と金融によって支えられ、なお覇権国家としての体面を保てたのである。