雅子さま(55才)が記者会見に臨まれたのは、2002年12月5日が最後だ。実に16年も前のことになる。お誕生日および、ニュージーランドなどへの海外訪問に際して行われた会見だった。雅子さまは当時、こう率直な思いを語られていた。
《外国訪問をすることがなかなか難しいという状況は、正直申しまして私自身その状況に適応することになかなか大きな努力が要ったということがございます。(中略)愛子が誕生いたしまして、今年、関係者の尽力によりましてニュージーランドとオーストラリアという2か国を訪問させていただくことができることになりましたことを本当に有り難いことと思っております》
翌2003年12月、雅子さまが緊急入院。2004年には「適応障害」が公表された。
「会見の内容を受け、お世継ぎを期待されている状況の中、“男児を産むよりも、自分が行きたい海外訪問が大事なのか”といった批判がなされました。その後、適応障害を発症されたのも、会見が重圧になったのではないかとの指摘もありました」(皇室ジャーナリスト)
肉声はそれ以来、国民の耳には届いていない。
「だからこそ、即位に際しての会見に待望論が出るのでしょう。平成時代を見ると、上皇上皇后陛下が即位に関する会見を行われたのは平成元年8月です。『即位礼正殿の儀』や『大嘗祭』(ともに平成2年11月)よりも前に行われたことになります。それを参考にすれば、天皇皇后両陛下もいつ会見を開かれても不思議ではありません」(宮内庁関係者)
女性皇族の方々はたびたび会見で、その声を国民に届けられてきた。ご結婚、ご出産、外国訪問、さらには、ご自身のお誕生日に際しても会見を行われることがあった。