鉄道事業からホテル、不動産開発、球団経営と多角的事業を進める西武ホールディングス(HD)。2004年には有価証券虚偽記載事件で窮地に陥った。西武HD設立による新体制発足後はリーマンショックを乗り越える一方で、投資ファンドから敵対的TOB(株式公開買い付け)を仕掛けられるなど激動が続いたが、後に和解。2014年には再上場し、業績は上げ潮トレンドに乗っている。その西武HDを率いるのが後藤高志社長(70)だ。第一勧業銀行(現・みずほ銀行)時代に「改革4人組」の一人として辣腕を振るった男は、今後の戦略をどう見据えるのか──。
──このシリーズではまず、平成元年(1989年)にどんな仕事をしていたかを伺います。後藤さんは当時、第一勧業銀行(現・みずほ銀行)に勤めていた。
後藤:当時は第一勧銀の人事部で次長をしていましたね。第一勧銀は、1971年10月、第一銀行と日本勧業銀行が合併して誕生した。私は翌年の1972年に入行した一期生に当たります。当時のトップから「2行の人事の一体化を実現してくれ」と指示を受けていました。
合併した銀行の人事を融和させることは、横やりが入ったりしてなかなか難しいものです。しかし大きな経営課題でもありましたから、とにかく不退転の決意で必死にやりました。
──後藤さんといえば、第一勧銀時代「四人組」の一人として改革に取り組んだ名うての銀行マンです。それがなぜ銀行から西武に転職することに?
後藤:1999年に一勧、富士、興銀(日本興業銀行)の3行が経営統合を発表します。その翌年には持ち株会社のみずほホールディングスが誕生した。
その後、私がみずほコーポレート銀行の副頭取を務めていた2004年、西武グループに総会屋への利益供与、有価証券報告書の虚偽記載が発覚します。西武鉄道株は上場廃止となり、逮捕者も出る事態となりました。
みずほコーポレート銀行は西武のメインバンクで私は担当役員でした。銀行主導で「西武グループ経営改革委員会」がつくられ、このままでは西武が潰れてしまうかもしれないという危機感の中で、当時の頭取から西武入りの指名を受け、自らがトップに立って西武の建て直しを果たそうと決意しました。
西武鉄道社長に転じたのが2005年、2006年に西武ホールディングス社長となって今日に至ります。そう思い返すと、私は企業の「再スタート」につくづく縁があるようです。
実は、4歳の頃から現在までずっと西武線沿線に住んでいるんです。西武鉄道にはもともと愛着がありましたので、改革に必死で取り組みました。