映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、俳優の岡本信人が恩人について語る言葉をお届けする。
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岡本信人は一九六一年、十三歳の時に「劇団ひまわり」に入団し、役者としてのキャリアをスタートさせている。
「私は山口県の萩で小学生時代を過ごして、最後六年の時に横浜に行きまして、中学二年で東京へ。そうやって環境が変わっていくことに田舎者としては戸惑いまして。野生の少年のようだったのがだんだんと元気がなくなっていったのを、父が心配したんでしょう。それで『劇団を受けてこい』って。
私も居場所がなかったので、とりあえず飛び込んだんです。
別に芝居が好きというわけではなかったのですが、発声練習で外郎売というのをやりまして、これのリズム感が面白くて口ずさんでいるうちに、だんだんと劇団で顔見知りも増えて、内向的な性格だったのが変わっていったんですよ。
日活の撮影所に映画のエキストラで行ったら食堂に石原裕次郎さんがいたり。そんなこともあって、現場に行くのが楽しくなりました。
ですから、演技はいつの間にか身に付いた──というのがあると思います。テレビドラマの出演もオーディションで選ばれているので、『このやり方でいいんだな』という自信もあったのかもしれません」
六八年に始まるテレビドラマ『肝っ玉かあさん』(TBS)では物語の舞台となる蕎麦屋の出前持ち役を演じた。