大韓民国憲法の前文には、韓国を理解する上で重要な3つの理念がある。「三・一運動」(日本統治時代の1919年3月1日に始まった抗日独立運動)、「四・一九民主理念」(李承晩政権時代の1960年4月19日、大統領選の不正をきっかけにした民衆蜂起(四月革命))、「平和的統一」(第2次大戦の結果、分断国家となった南北の統一)だ。
興味深いのは、その3つの理念が憲法の前文に盛り込まれた時期が違うことだ。韓国は現在の憲法まで9回の改正を重ねてきた。
最初の「建国憲法」は米軍軍政下の1948年に制定された。その年の5月に韓国初の総選挙が実施され、制憲国会が発足すると、法学者・兪鎭午(ユ・ジノ)氏ら憲法起草委員会が大統領制(国会議員による間接選挙)をもとにした草案を国会に示し、その年7月17日に公布、即日施行された。このスピード制定で、李承晩氏が初代大統領に就任する。
朝鮮半島の政治外交が専門の伊豆見元(いずみはじめ)・東京国際大学国際戦略研究所教授が、同じ米国の軍政下にあった日韓の憲法制定の事情の違いを語る。
「当時、米国は国連の監視下で朝鮮半島の総選挙を実施しようと呼びかけたが、北側を押さえていたソ連が応じなかったため、南側だけで総選挙が行なわれた。米国は日本に対してはGHQ統治下で軍事力を弱体化させることを主眼に憲法制定を促したが、韓国の場合はソ連への対抗上、早く独立させようと総選挙と憲法制定を急がせた」
しかし、その後韓国では、時の権力者に都合のいい改憲が行なわれてきた。有信堂高文社刊『世界の憲法集』の解説で、訳者の尹龍澤・創価大学教授は、〈韓国の憲法史においては、その大きな転換点ごとに戒厳が宣布されるという悲劇が繰り返される〉と指摘している。