「あいちトリエンナーレ2019」で中止された企画展「表現の不自由展・その後」について、企画展実行委と絵技術再実行委が中止前までの状態での再開を目指すことで合意した。国家と芸術の関係を揺るがした「不自由展」騒動について、『ヒトラーの正体』を上梓した舛添要一氏が持論を述べる。
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気に入らない芸術展を脅迫などの手段で中止に追い込むのは、基本的人権・民主主義の破壊です。再開が決まった「不自由展」については、まだまだ予断を許さない状況ですし、残された時間も少ないでしょうが、万難を排して再開してほしいと切に願います。
同件については、文化庁からの補助金の全額(約7800万円)を交付しないと、萩生田光一文部科学相が発表しています。いったん採択が決まった補助金を「不交付」とするのは、国の驕りとしか思えません。文化庁は、手続き上の問題などを挙げていますが、「少女像が展示されたのはけしからん」というのが本音だと思います。
国家の都合で芸術祭の内容を変更できてしまうのなら、逆に韓国のように政権交代が起こったら、逆のことが起きる可能性もあります。だから政治家や権力者は芸術の中身について絶対に文句を言ってはいけません。そのことを分かっているからこそ、中身ではなく、手続きを理由にしたのだろうし、本当に手続きが理由なら、全部ではなく、該当する部分のカットでいいと思います。
国家が芸術をコントロールできると思ったら大間違いです。私が思い出したのは、ナチスの芸術政策です。ヒトラーはもともと画家を目指していただけあって、芸術には大いに関心があります。それどころか、芸術を支配下に置こうと考えていました。
1933年に政権をとったナチスは ボルシェヴィキ、マルクス主義者、ユダヤ人作家の作品を槍玉に挙げました。また、キュビズム(代表的画家にピカソやブラックなど)、フォーヴィスム(マチスやルオーなど)、抽象主義、印象派なども、芸術の名に値しないと烙印を押します。
ヒトラーは、伝統的な写実主義やロマン主義の宗教画や風景画を愛しました。健康美あふれるドイツ人がしっかりと家庭で健全な生活を送っているような絵も好みです。一方で、男女が接吻していたりするようなエロティックな作品などを退廃芸術とよんで、毛嫌いしました。