今季、5年ぶりのセ・リーグ優勝を飾った巨人。7月に10.5ゲーム差を離して独走状態に入ったものの、8月上旬に0.5ゲーム差まで詰められた。その後、再びチームは持ち直し、最終的には2位DeNAに5.5ゲーム差をつけてセ・リーグを制した。その危機を救った1人として、球団のゲストとして招かれ、岡本和真などに打撃指導を行なったウォーレン・クロマティ氏の名前が挙がっている。野球担当記者が話す。
「8月、DeNAに3連敗を喫した際、4番・岡本がチャンスで打てず、戦犯扱いされた。しかし、クロマティの指導直後に打ち始めたため、“クロウ効果”と言われ始めました。もちろん、クロマティの指導だけで結果がでたわけではないでしょうが、スポーツ紙にとっては、かつての名選手の指導直後に4番が復活すると、見出しにしやすい。そんな点も忘れてはいけないでしょう」(以下同)
1980年代の巨人は、クロマティの存在なしでは語れない。1984年に来日し、1年目から35本塁打、93打点と結果を残し、3年目の1986年には打率3割6分3厘、37本塁打と大爆発。広島とデットヒートを繰り広げていた10月2日のヤクルト戦で頭部に死球を受けて退場するも、翌日には3対3の6回表に代打で登場。尾花高夫から満塁本塁打を放ち、巨人ファンを感動の渦に巻き込んだ。1989年にはシーズン途中まで打率4割を保ち、最終的に打率3割7分8厘で首位打者を獲得。チームを日本一に導いた。1990年までプレーし、今も“巨人史上最強の助っ人”と呼ばれている。
「ヒットを放つと塁上で自分の頭を指差して投手を挑発する仕草をしたり、風船ガムを膨らませたり、悠々間に合うタイミングでも三塁には必ずヘッドスライディングを試みたり、ホームランを打った後にファンと一緒に万歳をしたりとプレー以外のパフォーマンスでもファンを魅了。人気の高い選手でした」