彼女は輝いていた。将棋界に颯爽と現れた天才少女。大人の好奇な視線を浴びながらも、けらけらと笑い、男たちをなぎ倒していった。ドラマやCMに出演し、小説を執筆すればベストセラーを連発した。
彼女は堕ちた。永世名人との不倫を告白し、将棋界と決別。孤独を埋めるかのように酒をあおった。肝硬変を患い、郷里福岡に戻った。5年前、余命1年を宣告された。その事実を『遺言』と題された本に著し、ワイドショーなどでも話題になった。
彼女は現在も生きている。
林葉直子、51才。今何を想うのか。元「将棋世界」編集長で、12才の頃から林葉を見てきた作家・大崎善生氏が彼女のもとを訪ねた──。
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◆1979年──そこは女子はいちゃいけない場所だった
病の発覚に前後して福岡の父親が死んだ。将棋を教えてくれた父であったが林葉にとってはどうしようもない父親だった。警察官で外面的には生真面目なのだが、家庭内での暴力がひどい。
中学1年で米長家(米長邦雄永世棋聖)の内弟子となり東京へ出た林葉は、貯金通帳や印鑑をすべて父親に預けた。そこには後にいくつもタイトルを獲り、また20冊以上ものベストセラー小説を書いた、賞金や印税が振り込まれていた。それらをすべて勝手に使われてしまったという。目的は女遊び。
福岡の将棋大会で男子(森下卓九段)を破り優勝し、東京へ出た林葉は奨励会(※)試験に合格し6級で棋士生活をスタートさせていた。女流棋界には進まずに奨励会員として棋士を目指すというのが、米長の弟子となる条件だった。
ある日、千駄ヶ谷の将棋会館で小さな事件が起こった。
林葉は奨励会員、私はあの袋小路のような将棋道場から奇跡のように抜け出し、将棋連盟の職員として働き始めたところだった。将棋会館の廊下で騒ぎ声が聞こえる。
(※)奨励会
プロ棋士になるためには、奨励会という養成機関に入り、昇級、昇段していかなければならない。四段にまで進めばプロ。そのためには、年2回の三段リーグで上位2名に残らなければならない。一年でたった4人しかプロ棋士になれない仕組みだ。また年齢制限もある。〈満21才の誕生日までに初段、満26才の誕生日を含むリーグ終了までに四段になれなかった場合は退会となる〉(日本将棋連盟公式サイト)。ちなみに、女性で三段リーグを勝ち上がったプロは、過去に例がない。