10月13日19時45分、横浜国際総合競技場。台風一過の夜空のもと、ラグビー日本代表はワールドカップで初のベスト8をめざし、スコットランドとの「史上最大の決戦」に臨むはずだ。振り返れば、ここにたどり着くまでには90年に及ぶ先人の歩みがあった。
ジャパン初のテストマッチは1930(昭和5)年9月のカナダ遠征で行われたカナダBC州代表戦。敵地で3-3と引き分け、ツアーを6勝1分けの好成績で終えたジャパンを現地の在留邦人が熱烈に歓迎し、オープンカーでパレードが行われたとの逸話が残る。
ジャパンを真のナショナルチームにしたのは1966年に代表監督に就任した大西鐵之祐氏(故人)だ。就任3年目の1968年6月3日、ニュージーランドのウェリントンで行われたニュージーランドジュニア(23歳以下代表)とのテストマッチで、ジャパンは23―29の歴史的勝利を挙げた。センターで先発して1トライ4アシストの活躍を見せた横井章氏はこう振り返る。
「体格に劣る日本チームは素早く前に出るシャローディフェンスで敵の攻撃を封じ込め、ギリギリまで相手に近づいてから味方にパスする接近戦で敵の防御を切り裂いたんや。当時、世界最先端をいく戦術が現地のファンを大いに魅了しました」
それから3年あまり。大西ジャパンが日本ラグビー史に残る極限の戦いを繰り広げた相手は、ラグビーの母国であるイングランドだった。ラグビーエッセイ集『序列を超えて。ラグビーワールドカップ全史1987-2015』(鉄筆)の著者でスポーツライターの藤島大氏が解説する。
「大西さんは常に『人間には使命がある』と語っていました。日本ラグビーの誕生以来、先人たちの夢は母国であるイングランドと試合をすること。それが初めて叶う機会に、大西さんはすべてを賭けて戦う覚悟を抱き、世界一厳しい練習を課して選手を鍛えました」
1971年9月28日、日本ラグビーの聖地・秩父宮ラグビー場で行われたイングランド代表との最終戦。試合直前の緊迫したロッカー室。静寂の中、選手がかわるがわる水盃を飲み干す。最後に大西監督がその水盃を床に叩きつけて割り、短く言い放った。
「歴史の創造者たれ!」