お金にまつわる問題はこじれるとややこしい。透明性が大事だ。しかし、制度の運用にはトラブルがつきもの……。食文化に詳しい編集・ライターの松浦達也氏が指摘する。
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このところ、“ふるさと納税一家”の周辺がやたらとにぎやかだ。2008年に導入されたふるさと納税制度だが、それから10年以上が経った今月、報道やSNS上で立て続けにふるさと納税にまつわる批判や不満が噴出した。
そもそものきっかけは、ふるさと納税の制度改正だった。和牛やギフト券など加熱する高級返礼品競争を問題視した総務省は3月末、全国の自治体に「返礼品は地場産品に限る」という基準を通知。新制度では、それまでなりふり構わず多額の寄付を集めた大阪府泉佐野市などの自治体は除外された。つまり6月以降、泉佐野などに寄付をしても税制上の優遇は受けられなくなったのだ。
ところが9月、総務省所管の第三者機関、「国地方係争処理委員会(係争委)」が「待った」をかけた。泉佐野市などの除外が法律の認める範囲を越える可能性があると、総務省に再検討を勧告したのだ。しかし国や総務省は耳を貸さない。
法的に見直しが必要と言われたのに「不当というべき寄付金の募集を行った地方団体が、他と同じ扱いとなれば、国民の制度に対する適切な理解も得られない」「森の泉が自由に飲めるからと言って、一人で全部飲んで枯れてしまってもいいのか」(朝日新聞10月4日付より抜粋)と法ではなく、情で総務省は勧告を拒絶した。
所管する係争委から法的な指摘を受けたのに、感情的になって拒絶する総務省の姿は、昭和のホームドラマで妻や子どもから「パパの言っていることはおかしい」となじられる父親のようである。
各メディアも総務省の姿勢には手厳しかった。9月4日、産経新聞は「総務省は襟正し見直しを」という社説を掲載。「事実上の国の敗北と言えよう」から始まるこの日の社説では「制度設計や見直しがいいかげんでありながら、上意下達式に自治体を従わせるのならば、驕りと言われても仕方あるまい」と総務省を痛烈に批判した。
ただ、総務省や国の気持ちもわからないでもない。ふるさと納税は寄付金控除のひとつの形である。原資が変わらない以上、得をする自治体があるということは、必ず損をする自治体が出てくる。「小遣いは自分で稼げ」と言いつつ、言外に「でも他の兄弟のことも考えてくれ」と望む父親としては、国内の他の自治体にゼロサム・ゲームを吹っかけ、自分さえ良ければいいと寄付金を囲い込みに行く。そんな泉佐野のやり口に好感を持てないのは当然だろう。だが感情論はともかく、地方自治体という兄弟間でのゼロサムを煽るようなふるさと納税の仕組みを構築・運用してきたのは総務省自身である。
地方分権を推進する立場の総務省としては、5月に除外告知を出す前に自治体との妥協点を探るタイミングはあったはずだし、内閣改造が行われた9月の段階でも舵の切り直しはできたろう。新制度の基準に過去の行状がそぐわないからといって、感情任せに見せしめのように晒しても事態が好転するはずがない。
泉佐野市のふるさと納税除外継続が決定した直後、10月7日には各紙が一斉に社説で総務省を批判した。
「ふるさと納税 地方分権の理念はどこへ」(朝日)
「泉佐野市の除外継続、制度維持ありきの強弁だ」(毎日)
「勧告に向き合わない総務省」(日経)
こうした報道を受けても、現在までのところ国や総務省に軟化の兆しは見られない。両者の対立は11月に、法廷へと持ち込まれる可能性が高い。