放送作家、タレント、演芸評論家で立川流の「立川藤志楼」として高座にもあがる高田文夫が『週刊ポスト』で連載するエッセイ「笑刊ポスト」。今回は、史上初めての充実ぶりをみせる東京漫才についてお送りする。
* * *
どぶろっくの“イチモツ”で「キングオブコント」も終了。審査員は松本人志に率いられたバナナマン、さまぁ~ずという“東京コント”の覇者達。コントの一方、漫才はと目をやれば、いま“東京漫才”が充実の時を迎えているのだ。
長いこと東京の演芸をみてきた私だから間違いは……あるかもしれんが。たしかに昭和40年代(1965年~)前半に〈演芸ブーム〉と呼ばれるものがあって「コロムビア・トップ・ライト」を筆頭に「獅子てんや・瀬戸わんや」「Wけんじ」「晴乃チック・タック」「青空球児・好児」らが揃った寄席番組が華やかだった。その彼らも「コント55号」の出現によりふっとばされてしまった。
この衝撃から15年の時が経ち、テレビでは〈漫才ブーム〉が起こった。昭和55(1980)年のことである。漫才ブームとは名ばかりで、この時はすべて関西吉本(B&B、ザ・ぼんち、島田紳助・松本竜介)の面々。東京勢はツービートしかいなかったのが本当の話。星セント・ルイスはとっとと戦線離脱。
あの時代からおよそ40年、ビートたけしの毒を浴びて育った連中がいま東京漫才として花開く。ずっと東京の演芸を見つづけ応援してきた身としては感無量。爆笑問題をてっぺんにサンドウィッチマン、ナイツ。これが東京のクリーンナップ。すぐ後に続くオードリー、U字工事、カミナリ、三四郎と私ごのみの芸が続々。これほど心強い面々はない。