10月22日から31日まで、天皇陛下が即位を広く国内外に宣言される一連の儀式「即位の礼」が挙行される。その中でも、最も重要な儀式にあたるのが、22日13時から行われる「即位礼正殿(せいでん)の儀」だ。
即位礼正殿の儀は、皇居・宮殿の正殿「松の間」にて行われる。松の間は宮殿で最も格式の高い部屋で、今年5月1日、第126代天皇に即位された天皇陛下が皇位とともに伝わる「三種の神器」を受け継がれた「剣璽等承継(けんじとうしょうけい)の儀」も、この松の間で執り行われた。即位礼正殿の儀では、松の間に置かれた天皇の玉座である「高御座(たかみくら)」に天皇陛下が昇られて、即位を宣明される。
その松の間の前に広がるのが、広さ1450坪以上の「中庭(ちゅうてい)」である。中庭には、三重県の熊野古道に面する七里御浜産の白那智の美しい玉石が約860トンも敷き詰められ、儀式中は、古装束に身を包んだ宮内庁職員らが整然と並び、色とりどりの伝統的なのぼり旗が林立。まるで古代の日本にタイムスリップしたかのような、歴史を感じる荘厳な景観が広がる。
そんな中庭に彩りを与えるのが、2本の木の存在だ。
「中庭の北東の隅には紅梅の古木、南西の隅には白梅の古木が植えられています。その2本の梅の移植には、“柔軟な発想で新しい宮殿を作りたい”という設計者の願いが込められているように思います」
そう語るのは、文筆家で歴史探訪家の竹内正浩さんだ。竹内さんは、話題の新著『最後の秘境 皇居の歩き方』の中で、知られざる皇居の内部を詳しく紹介している。竹内さんが続ける。
「現在の宮殿は、昭和43年(1968年)に完成しました。当時、宮殿造営のプロデューサーとして活躍した人物が、宮内官僚で、臨時皇居造営部長を務めた高尾亮一氏です。高尾氏は、新しい時代の、親愛の持てる皇室の在り方に合わせた宮殿ができるよう、宮殿建築における“過去の慣習”を緩和していきました。
例えば中国から伝わり、明治宮殿(空襲で昭和20年に焼失)にいたるまで固く守られてきた『天子南面』の原則です。天皇は北を背にし、南を向いて座を占めるというという原則ですが、高尾氏は“建物の配置計画を変更してまで固執することはない”と考え、昭和天皇をはじめとした関係者に了解を求めて、その原則を解除してもらい、東を向いた新しい宮殿を建てました。実は、現在の宮殿は、長く様式として守られてきた原則を初めて破った、画期的な宮殿と言えるのです。
そうした創意工夫により、大人数を招いて開かれる歓迎行事や、戦後に始まった国民の一般参賀行事にも対応した、新時代の皇室に相応しい宮殿が完成しました」