ラグビーW杯で初の決勝トーナメント進出を果たし、準々決勝で敗れた日本代表は今年、240日の合宿を行ってきたことでも注目された。かつての日本ラグビーを牽引した松尾雄治氏(65)も、高校時代には、過酷すぎる練習をこなしてきたという。そのエピソードを語った。
* * *
高校中退でどこのチームにも所属できずに苦しんでいた僕に、手を差し伸べてくれたのが北島先生(当時、明治大学の監督だった北島忠治氏)でした。僕の親父は「勉強なんて人生に必要ない」という考え方の人で。それで僕の進学先には、個性尊重の校風で、幼稚園から大学まで進学できる成城学園を選びました。
だけど、高校1年の時に学校の方針が変わり、きちんと勉強しないと進級できないことになった。これを聞いた親父が烈火のごとく怒り、学園長と大喧嘩。結果、私は退学になってしまったんです。
「これからどうする」と途方に暮れていたある日、八幡山の明大グラウンドに明大ラグビー部の練習を見学に行ったところを北島監督に声をかけていただいた。そして北島監督に、梅木恒明さんが監督をしている目黒高校に紹介してもらったんです。
目黒高校時代の練習は本当に過酷でした。梅木監督は「戸塚ヨットスクールなんて甘い」なんて言ってる人でしたから。
授業にまったく出ないのは当たり前。朝の5時から練習して、それから10キロ離れた学校まで走って、朝礼だけ出てすぐ明大のグラウンドまで10キロランニング。それから練習か練習試合。これが毎日ですからね。もう本当に死ぬかと思いましたよ。