「遅咲きの名優」と言われることが多い、俳優・遠藤憲一(58)。今ではテレビにCMに、そしてナレーションなどに引っ張りだこだ。「有名になるとかより、ひとりの表現者であり続けたい」──そう語る彼は、なぜ俳優の道を志し、今の自身の活躍をどう考えているのか。この10月に発売された、表現者31人に迫ったインタビュー集『硬派の肖像』に収録された遠藤の声を抜粋してお届けする。
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「俺でいいんですかね」
強面の顔がゆるんで、照れるように遠藤憲一は言った。「こういうお洒落な雑誌に呼んでもらえるのって、慣れてなくて」
気づけばこの数年、話題のドラマや映画のそこかしこにこの人はいる。多忙で同時期に二本の撮影をしている状態が常であるといい、依頼される役柄も多様。あるときはクールな刑事、あるときは亡き母を思慕する中年男、あるときは著名な塾講師、あるときは人情味あふれる父親……と演じ分け、独特な強い印象を投げかける。
「いやもう、必死なだけです。仕事がまったくない時代があったんで、仕事をもらえるというだけですごくうれしいんですよ」
その幅の広さから、「器用な役者」だといわれることも多いが、本人は「まったく逆です。とてつもなく不器用で」と、声に力を込めた。
「だから一個、一個の作品がオーディションだと思ってるんです。若いころ、受けては落ちてを繰り返してたからいつも不安だった。年がら年中、傷ついてたもんだから、ヘンに悪いほうにとるようになっちゃったのかもしれないね。その癖が今も抜けなくて、もしもこの一作で失敗したらあとがない、油断したらだめになるといつも思っていて……」
人気俳優といわれてもいまだ自覚がなく、「俺ってちっちぇえなと思う」と言った。
「臆病だな、これでいいんだろうか、とかしょっちゅう思ってるんです。だから下準備をきっちりしていかないと落ち着かなくて、台本をもらうと完璧に覚えます。真っ先にやるのはね、漢字を調べること。自分、高校1年を2学期の初めで中退してるんで、中卒なんです。ツッパリだったんですよ。難しい漢字が読めないんですね。昔、とんちんかんな読み方して、ゲラゲラ笑われたことがあってすっごく恥かいたので、二度とごめんだと思って」
せりふの覚えも得意ではないようだ。
「何度も繰り返して努力して覚えるしかないんです。いっぱいいっぱいだけど、手を抜くことを覚えたくない」