日本の高度経済成長を牽引した「昭和の名経営者」と言えば、松下幸之助、本田宗一郎、小倉昌男などが思い浮かぶ。一方、彼らと肩を並べるほどの成功を収めながら、毀誉褒貶相半ばする人たちがいる。堤康次郎氏もその1人だ。児玉博氏(ジャーナリスト)がレポートする。
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西武百貨店、パルコ、無印良品など、芸術文化をとけ込ませた特異な「セゾングループ」を築き上げた堤清二。その鬼気迫る事業欲、拡大意欲は、一代にしてホテル、鉄道などを抱えた「西武グループ」を作り上げ、“ピストル堤”と恐れられた父・康次郎への対抗心に他ならなかった。
清二と父・康次郎とは、西武グループを継いだ異母弟の義明を間にはさみ、抜き差しならぬ関係だった。
だが、辻井喬の名で作家としても活動していた堤清二は晩年、父との怨讐を乗り越えるように『父の肖像』を描く。その足跡を丹念に辿った清二は、実業家としての堤康次郎に出会う。
康次郎に成功のきっかけをもたらしたのは軽井沢のリゾート開発だった。旧沓掛村(現在の中軽井沢周辺)に康次郎が姿を見せたのは1915年頃。康次郎26歳の時だった。
「なぜ軽井沢だったのでしょうか? なぜリゾート開発だったのでしょうか?」
堤清二との長いインタビュー(『堤清二 罪と業 最後の「告白」』)の最中、こんな質問をすると清二はさも可笑しそうに答えたものだった。
「それはね、父はこんないい方をしていましたよ『人と同じことをやっていては成功しない』って」