心の奥底でどう感じているかはともかく、ものの言い方で印象がガラリと変わるのは事実。大人力について日々研究を重ねるコラムニストの石原壮一郎氏が指摘する。
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2019年も残すところあと2ヵ月。このタイミングで「新語・流行語大賞」の有力な候補が躍り出てきました。しかし、今年のノミネートの発表は11月6日なので、きっともう間に合わないでしょう。流行の発信源の方は、残念に思っているかもしれません。
その言葉とは「責任を痛感」です。「(たとえば大臣に任命した)責任を痛感している」「(たとえば拉致問題を解決できていないことの)責任の重さを痛感している」「(たとえば不正な調査を見抜けなかったことの)責任を痛感している」といった使い方をします。
「責任」という言葉を辞書で引くと、「自分が引き受けて行わなければならない任務。義務。」「自分がかかわった事柄や行為から生じた結果に対して負う義務や償い。」とあります(三省堂「大辞林」より)。また「痛感」は、「心につよく感ずること。身にしみて感ずること。」とあります(同)。
なるほど、いろんな任務や義務はあっても、とりあえず心につよく身にしみて感じれば「責任を痛感」したことになるんですね。パッと聞くと、重大な決意を示しているように聞こえますが、何をどうするか明らかにする必要はまったくありません。なんて便利な言葉でしょう。そりゃ、いちおう体裁を整えたいときには、つい使いたくなります。
こんな便利な言葉を一部のエライ人だけに使わせておく手はありません。私たちシモジモも、大いに活用してその恩恵にあずかりましょう。すぐにでも使えそうのは、仕事のミスを上司に報告する場面です。
「長年のお得意先の社長を怒らせて、取り引きを切られてしまいました。責任を痛感しております」
「また納期を守れませんでした。責任を痛感しております」
そんな調子でしょうか。ただし、エライ人はそう言っておけば済みますが、シモジモが使うと、上司から「責任を痛感はいいけど、それでどうするつもりなんだ!」という当然の突っ込みが入ります。「ですから、責任を痛感して……」と繰り返せば繰り返すほど、擁するに具体的な対処は何もする気はないことが強調されてしまうでしょう。
家庭内で妻から給料の安さに不満を言われたり、子どもの成績が伸びないことを嘆かれたりしたときにも、「責任を痛感しています」と返すのがオススメ。こうした「そういわれてもどうしようもない事柄」を責められたときは、とりあえず神妙な顔をしておくことが大切です。やがて「こいつに言っても無駄だ」と思われますが、その通りなので仕方ありません。ただ、エライ人が同じように思われてしまうのはどうなんでしょうか。