日本の高度経済成長を牽引した「昭和の名経営者」と言えば、松下幸之助、本田宗一郎、小倉昌男などが思い浮かぶ。一方、彼らと肩を並べるほどの成功を収めながら、毀誉褒貶相半ばする人たちがいる。東急グループの五島慶太氏もその1人だ。作家・増田晶文氏がレポートする。
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五島慶太が逝って60年──“強盗慶太”の異名をとり東急グループの礎を築いた彼には、梟雄と辣腕事業家の二つの顔がある。
「ワシは白昼札片を切って堂々と強盗を働く」
五島はこう嘯いて企業合併に蛮勇を振るった。京浜や京王、小田急、地下鉄などを併合し“大東急”を実現したのは序の口。東映に白木屋をはじめ銀行、海運、自動車、ホテル……有名企業を続々と傘下に収めた。その数は160社に及ぶと言われる。
五島を知る人物は彼が、「乗っ取りは戦争」と語ったことを証言してくれた。標的になった企業は怨嗟の声をあげ、遺恨の残る後味の悪い事例が少なくない。
「負けたほうがワシのことを強盗なんて悪口を言う」
強盗慶太が横井英樹、小佐野賢治といった後の大物フィクサーを手懐けたことも特記しておこう。横井は白木屋買収に奔走し、小佐野が牙城にした国際興業は五島から譲渡された会社だ。