「沖縄の歴史や文化を象徴する首里城が焼失したことについて、天皇皇后両陛下は大変残念に思われている」──宮内庁侍従職は10月末の会見でそう明らかにした。
沖縄のみならず、日本や世界に大きなショックを与えた首里城の火災。「火元は首里城正殿の北側にある分電盤とみられる」(沖縄県警幹部)と、火災現場の様子も徐々に明らかになりつつある。
「火災報知機が作動したため、警備員が正殿北側のシャッターを開けて煙を確認。現場を離れ、5分後に消火器を持って戻ってきた。問題はその間にシャッターが明け放されたままで一気に通気され火の勢いが増したこと。シャッターを閉めて消防に通報していれば全焼という事態は防げたのではないか。不謹慎にも延焼の様子を動画で撮影したスタッフもいたようだ」(前出・県警幹部)
首里城の管理者である「沖縄美ら島財団」は今後、電気設備の点検は適切だったか、防火訓練が充分だったかなど、施設管理の責任を問われそうだ。
「三十数年間をかけ、専門家や職人が知恵を絞って完成させた首里城が焼け落ちるのを見ると、胸が張り裂けそうでした」と沈痛に語るのは、琉球史が専門で、首里城復元事業の舵取り役を務めた高良倉吉・琉球大学名誉教授だ。
「首里城の復元に、上皇上皇后両陛下も高い関心をお持ちでした。両陛下にお会いする機会があった時はいつも、首里城復元の過程について詳しくご質問がありました」(高良さん)
歴代天皇の中で、在位中に沖縄を訪れたのは上皇陛下が初めて。その初訪問時の1993年4月、両陛下は正殿や城郭が再建されたばかりの首里城を訪問された。
陛下は在位中、日本人が記憶しなければならない日として、沖縄戦終結の日(6月23日)を挙げられ、戦争犠牲者を悼む慰霊の旅を続けてこられた。しかし、両陛下にとって、沖縄とのかかわりは決して平坦な道ではなかった。
沖縄が米軍の占領下から日本に復帰して3年経った1975年7月、両陛下(当時は皇太子同妃両殿下)は沖縄を初訪問された。当時は全国で社会運動が激しかった騒擾(そうじょう)の時代。訪問阻止を叫ぶ過激派もあり、身の安全が危惧されたが、両陛下の決意は変わらなかった。
献花のために慰霊碑「ひめゆりの塔」に赴いた際、地下壕から飛び出した過激派2人の手から火炎瓶が飛んだ。目の前の献花台に直撃して炎上。だが、そんな事件の後も公務を予定通り敢行され、夜には陛下が「この地に心を寄せ続けていく」という異例の談話を発表された。そのおことばの通り、在位中の沖縄訪問は6度を数えた。
「美智子さまは琉球文化に深い造詣をお持ちです。今年2月、在位30年を祝う式典で歌手の三浦大知が披露した『歌声の響』という歌は、沖縄の伝統的な定型詩『琉歌』であり、上皇陛下が歌詞を詠まれ、美智子さまが曲をつけられたものです」(皇室記者)