作家、俳優、演出家、ミュージシャン……表現することを生業とする人のなかでも、一流と呼ばれる人たちはどこが違うのか──。プレッシャーがかかり、ノルマに追われる生活のなかで、モチベーションを保ち続けるのに必要なものはなんなのか。表現者ならずとも、ふと我が身を省みて、彼らの尽きないエネルギーについて不思議に思うことはないだろうか。このほど刊行されたインタビュー集『硬派の肖像』の中で、俳優の古田新太や作家の伊集院静氏など表現者31人に対面し、それをまとめたインタビュアー・水田静子氏はこう語る。
「根底に怒りというものがありますね。伊集院静さんにしても、社会に対しての怒り、自分自身に対しての怒りが感じられた。怒りとは枯渇感でもあって、それが作家としての原点になっていると思います」
インタビュー内で伊集院氏は2011年の東北大震災を例に挙げ、誰も責任を負わないことに真っ先に声を上げ、こう語っている。
〈電力会社、政治家、学者、テレビ・メディア、寄付金の額を言う、アメリカの悪しきチャリティの真似をする有名人……まざまざと卑しさを見せつけられた。彼らには誇りがない〉
一方で伊集院氏は〈おのれ以外のために何かをする、それが生きるということ〉とも語っている。常に下からの目線を忘れない理由には、挫折と苦労を味わってきた半生があるからだろうとして、水田氏は言う。
「応募した小説が酷評を受けたことで落胆し、執筆をやめた。そこに妻だった人との別れが重なり、一時は幻聴を聞くほど壊れていた。世の中は個人の悲しみなどとは関係がなく、平然と動いていると知った。放浪もした。でもその間にどこかの書評が、彼の小説を褒めていたんです。たった2行ほどの記事が伊集院さんを救い、勇気づけることになった。
大切に切り取って机の前の壁にずっと貼っていたとおっしゃっていました。人生にはそんな瞬間があるのだと思います。伊集院さんの人を見る眼差しが優しく、書かれるものが心に沁みるのは、こういった、さまざまな感情にまみれながら生きてきたからだろうと思います。〈世の中の約7割の人は、人生がうまくいかない、夢が叶わない。私はそういう人たちに向けて書いている〉という言葉は、ずしりと胸に響きました」