台風や地震などの自然災害が頻発し、高齢者ドライバーによる交通事故が多発するなど、損害保険の重要性は増している。そんななか、社会の新たなニーズを汲んだ新商品を次々発表しているのがあいおいニッセイ同和損害保険だ。
同社社長で日本損害保険協会会長でもある金杉恭三氏(63)にこれからの損害保険のあり方を訊いた。
──このインタビューではまず、平成元年(1989年)当時、どんな仕事をしていたかを伺います。
金杉:私は1979年に当時の大東京火災海上保険に入社し、1989年は本社の営業総括部で係長をしていました。昭和天皇崩御の一報(1989年1月7日)は、休日出勤しているときに知りました。
保険業法改正で大きく保険自由化に舵が切られるのはまだ先(1996年)の話で、当時は保険料率も保険商品も同業他社とほぼ横並び。気合いと根性の営業で他社と差別化するという時代でしたから、土日出勤や深夜残業も厭わなかった。
その後の30年間で、損保業界は大きく再編されました。私が入社した当時は20社ほどあった損保会社は合従連衡を繰り返し、いまでは3グループに収斂しています。
私がいた大東京火災は、まず2001年に千代田火災と合併してあいおい損保となった。その後の2010年4月には、あいおい損保、ニッセイ同和損保、三井住友海上の3社が経営統合して「MS&ADインシュアランスグループ」が発足、10月にあいおい損保とニッセイ同和損保が合併して「あいおいニッセイ同和損保」が誕生します。
ひとつの会社になったといっても、それぞれの企業風土や仕事の進め方は大きく違います。私はこの時期、統合推進室や人事部に所属し、社内融和に腐心しました。