「即位の礼」が無事執り行なわれ、いよいよ本格的に令和の時代が動き始めた感がある。アメリカにおける近現代天皇制研究の第一人者である米ポートランド州立大学教授のケネス・ルオフ氏は先ごろ、漫画家の小林よしのり氏との対談本『天皇論「日米激突」』(小学館新書)を上梓し、即位の儀式にも触れている。ルオフ氏は、今回の「即位の礼」と11月14日から行なわれる大嘗祭をどう見るのか。
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──「即位の礼」をご覧になってどう感じましたか。
ルオフ:「即位の礼」で一番印象に残ったのは、新天皇のお言葉です。なぜなら、短いお言葉の中で、3回も「平和」と言う文言を使われていたからです。日本人には気づきにくいところかも知れませんが、多くの日本人による民主主義の定義には「平和」という言葉と概念が入っています。実は、ほかの民主主義的な国は、そのように民主主義を定義してはいません。平和という言葉と概念が入った民主主義の定義は、戦後日本の特徴なのです。新天皇のお言葉は日本人の平和への誓いをよく表していると思います。
11月14日からの大嘗祭(*注)については、少しだけ懸念していることがあります。明治以前の大嘗祭は、仏教的な要素が強い儀式でしたが、現在行なわれている大嘗祭は、明治以降、つまり国家神道の流れを汲むものです。
即位の礼は国の行事で少々派手でも問題ありませんが、大嘗祭は皇室内の行事です。秋篠宮も大嘗祭への国費支出に疑問を呈しましたが、私も同意します。あまり派手にやるべきではないと思います。
「伝統」という言葉が出たときは、気をつけたほうがいいです。一般の人たちは「これは伝統だ」と言われると、怯んでしまいがちですが、自分たちの主張に都合のいいものだけを伝統と呼ぶ人たちがいます。今の大嘗祭の形は明治以降の伝統に過ぎません。マスコミは、昔は仏教的な儀式だったという事実を伝えたほうがいいでしょう。
諸外国と比較すると、日本は政教分離が比較的厳しく守られている国ではあります。世界には、完璧に政教分離をしている国はほとんどありません。ただ、それでも、大嘗祭をあまり派手にすると、国家神道を想起させ、内外でイメージが悪くなると思います。
明仁上皇の退位によって、世界の人々はやっと日本が戦前と戦後で変わったと理解したと思います。それが台無しになりかねません。
【*注:大嘗祭/新天皇が皇位継承した後、その年の新穀を神々に供え、国家・国民の安寧、五穀豊穣を祈念する儀式】