若くしてイギリスに単身留学、帰国後、厩舎を経営していくにあたってさまざまな改革を進め、多くの競馬調教師に影響を与えてきた藤沢和雄調教師。実績を残している人の言葉は重い。競馬歴40年のライター・東田和美氏が、藤沢調教師と藤沢厩舎についてつづる。
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パドックを周回していた出走馬に「止ま~れ~」の声がかかる。管理馬に小走りに駆け寄っていく調教師が多い中、いつもゆっくり歩いていくのが藤沢和雄だ。多くの観客を前にした愛馬が落ち着かない様子だったりすると、正面に回って鼻先をなでながら「よしよし、わかったわかった」などと声をかける。馬の不安な気持ちがわかるのだろう。
藤沢和雄厩舎が開業したのは昭和が平成に変わる前の年。初勝利は6戦目、地方競馬出身のガルダンという8歳馬(当時)で、厩舎にはいまでもその時の新聞記事が貼りだされている(ちなみにこの馬は前年のジャパンカップにも地方馬として出走しているが、その時の鞍上はいまなお現役の的場文男騎手だ)。
開業4年目の平成3(1991)年には最高勝率調教師としてJRA賞を受賞、5(1993)年には44勝をあげて早くも全国リーディングの座に就く。当時は「西高東低」の真っただ中で、2位から16位までが関西の厩舎だった。2年後再び首位に立つと、その後は10年連続してJRAで最多勝をあげ続けるなど、リーディングトレーナーになること14回。他の年もほとんど上位に顔を出している。平成だけでGI28勝を含む重賞113勝、通算1435勝をあげ、日本競馬をリードしてきた。とくに14(2002)年から16(2004)年までは天皇賞(秋)と有馬記念3連覇という偉業を成し遂げている。
通算勝利数1470(11月3日終了時点)は歴代2位。1位は尾形藤吉調教師の1669だが、これは自由競争で100馬房もあり、定年制もなかった時代の話。近年勇退した1000勝以上の調教師はおらず、現役2位の国枝栄調教師も884勝。もちろん重賞勝利も他の調教師に大きく水を開けている。