神戸市の小学校で起きた教師間のいじめに端を発し、次々と表面化する教師による度を超えたハラスメント事件。教育現場の崩壊は目に余るレベルにまで達しているが、その背景には、次々と問題を引き起こす“札付き教師”を放置する管理者の「事なかれ主義」が横行していた。教育評論家の石川幸夫氏が、全国から寄せられた具体的な相談事例を挙げながら糾弾する。
* * *
各地の教育現場から、耳を疑うような事件が日々新聞やテレビ、そして、ネット記事等を賑わせている。その中でも、やはり神戸市東須磨小学校で起きた教師間の暴力・暴言事件は、世間に大きな衝撃を与えた。
加害教師たちは、現場を混乱させ、子供たちの学ぶ機会を一時でも奪い、学級運営に大きな影響を与えたことに対する直接の説明責任を果たしていない。迷惑をかけた子どもたちに直接謝罪もしていないばかりか、市の教育委員会が下した分限休職処分について、代理人を通して不服を申し出た教師もいるそうだ。自己防衛に終始し、教育現場を預かり国民教育を司る教師であるという自覚がないのは指摘するまでもないだろう。
この問題は「神戸方式」(※教員の配置・異動などに学校長の意向が強く働くシステム)という神戸市独特の人事管理であると一部で言われているが、そうではない。全国の教育現場、それも保育園・幼稚園から小中高大学からは、こうした教師や学校管理者の問題が続出している。決して神戸だけの特殊ケースであると矮小化してはならない。
問題の本質は、なにか教師による事件が起きる度に指摘される学校、教育委員会の「隠蔽体質」こそ、新たな事件を生む原因になっているのではないだろうか。以下の事案は、この数年、私が直接相談を受けたケースだ。