明らかに弱者が被害者となった事件が起きたとき、なぜか被害者のあら探しに熱心な人たちがいる。その声は、SNSの普及によって実際より大きく広まってしまうことがある。大阪の小学6年生女児が行方不明になり、栃木県で発見された事件をきっかけに、あぶり出された大人の不見識がSNSで声高に叫ばれる歪みについて、ライターの森鷹久氏が考えた。
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「本当にありがとうございます。感謝しています。」
11月17日から行方不明になっていた大阪府内の女児が、栃木県内で6日ぶりに無事保護された。不明時から、メディアに気丈にも応じていた母親だったが、現在は取材をうけていない。今頃は、深い安堵の中で愛娘と幸せを噛み締めているのだろう。
不明から女児の発見、そして被疑者の逮捕、というめまぐるしい展開のなか、今回の事件は過去に発生した誘拐事件と比べると、取材現場のテンションが低めだ。それは次のような理由だ。大手紙関西担当記者の話。
「いわゆる”誘拐事件”、近年でいえば2016年に埼玉・朝霞で誘拐された少女が2年ぶりに保護されたときと比べると、連れ出された時の様子が違う。女児は、ネットゲームとSNSを通じて知り合った被疑者と事前に連絡を取りあい、男の家に行っていたのです。朝霞の事件と比べると、無理矢理連れ去った印象が薄い。もちろん、小学生の女児ですから、仮に彼女が一緒に移動することを受け入れていたとしても、それは成人同士の”同意”とは異なります。しかし、共感を得られにくくなったのは事実」
ネット上では、もっと極端な、配慮がない声が目立っている。小学6年でスマホを持たせる家庭環境が悪い、自発的に行ったのだろう、(被疑者の)男はかわいそうだ、といった意見である。被害者を非難する声が出やすくなってしまっているのだ。前述の記者は、女児の保護、犯人逮捕で落ち着いた本事案について、検証報道をやり過ぎてしまうと「女児が悪い」といった空気の醸成が進むことを懸念している。
「女児が保護された直後、容疑者の家に茨城県出身の女子中学生がいたことも判明しています。家族が捜索願を出していましたが、家出が発端であり本人が”見つからないように隠れていて監禁ではなかった”とも話しているから、男はむしろ被害者ではないのか、という間違った意見が飛び交う恐れもあります」