孔子の言葉にも、聖書にも「罪を憎んで人を憎まず」という言葉があるほど、この考え方は世界中で共有されているが、現実にはなかなかそうはいかない。過去に反社会勢力に加わっていた、さらに前科まであるとなると、現在がどうあれ色眼鏡で見てしまうのは避けられない。だからといって、再チャレンジのチャンスまで奪う権利は誰にもないはずだ。ライターの森鷹久氏が、何十年経っても、どれだけ社会のために働こうとも、元暴力団員というだけで生きづらさに襲われる皮肉な現実をレポートする。
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「死ぬまでこういうことが続くのか。私はいつまでヤクザなんでしょうか──」
東京都内で飲食店を営む中島駿一さん(仮名・40代)は今年夏、経営していた複数の店舗のうち、2店舗を閉じた。経営状態は悪くなかったが、大家から賃貸契約の更新不可を言い渡された。家賃の滞納もなければ、近隣店舗や住民とのトラブルもない。ただし、自身に原因がないかといえば、そうも言い切れない。それは中島さんがかつて、広域指定暴力団の構成員であったという“過去”だ。
「私はかつて確かに、ヤクザ、暴力団員でした。他人様を脅迫して土地売買の契約を強要して捕まった前科もある。師匠に出会ってカタギの世界に戻ってこられたのは30代の中頃。修行をさせてもらい、自分の店を持ったのは40才になってからです」(中島さん)
暴力団をやめてうちで働かないかと、中島さんに声をかけた師匠のAさん(70代)が、当時を振り返る。
「前科モンのヤクザでしたが、真っ直ぐな男。ただ、あの世界は一度足を踏み入れると抜けられない。ちょうどあいつにも家族ができた頃。一念発起して頑張ってみないかと誘ったら、ほどなく店一軒を任せられるくらいまでになった。最初はいろいろと苦労もしたでしょうし、実際にトラブルもあった」(Aさん)
辞めた暴力団員を待ち受けているのは、かつての仲間からの嫉妬、やっかみだ。金を無心しにくるかつての仲間を無下にできず、飯を食べさせれば「中島はいまだにヤクザと繋がっている」との噂を流された。関係を一切断とうとすると、やはりかつての仲間から様々な嫌がらせを受ける。