誰もが夢見るものの、なかなか現実にならない夢の馬券生活。調教助手を主人公にした作品もある気鋭の作家、「JRA重賞年鑑」にも毎年執筆する須藤靖貴氏が、本気で競馬に勝ちに行くためのパドックで馬を見る重要性についてつづる。
* * *
「パドックを見ずに馬券を買うのは、見合い写真だけで婚姻届に判を押すようなもの」といった昭和的な喩えを、私はさっき思いついた。馬券購入は重い決断だ。幸せになりたいのならしっかりと馬に会わなきゃ。
私は早くから競馬場やウインズに足を運ぶ。そのとき最寄り駅に逆行する方々とすれ違う。メインレースの馬券を買って帰途につくようだが、事情があるにしてもパドックは当然未見。これと定めた馬がパドックで尻っぱね3連発でもやらかしたら……。
ところが、「見てもわからないし」という御仁も少なくないという。実は私もそうだった。師匠筋の先輩は言った。「誰だって最初はわからない。でも、見ているうちになにかがわかる。それが面白いんじゃないか」。そうなのだ。馬の差異は見てとれる。「わかるのは馬の状態だけ。能力までは……」とはいうものの、今の状態がわかるだけでも十分だ。パドックには確実になにかがある。
レース直後、即座に席を立つ。結果に酔いしれたりトイレでため息をついたり競馬新聞に目を落としたりするヒマはない。とにかくパドックへ!
そもそもの意義は「勝つ馬を探すこと」と「勝てない馬を切る」。前者は難く後者は易しという。ある未勝利戦のパドック。痩せ馬がトボトボと歩く。周囲の馬とは力感の差が明らか。競馬新聞に目をやれば前走も前々走も2ケタ着順、一目瞭然だ。