保守、改憲、親米、改革……安倍晋三・首相がさまざまな面で模範とした政治家が101歳で大往生した大勲位、中曽根康弘氏だった。しかし、氏が遺した言葉や足跡を見るにつけ、この2人の違いが浮き彫りになる。
中曽根直系の改憲派で“参議院のドン”と呼ばれた村上正邦氏(87)は、「中曽根氏は常に政局よりも国家を優先した」と言う。
「1986年、“死んだふり解散”と呼ばれた衆参ダブル選挙で、私は中曽根総理の全国遊説すべてに同行しました。その時驚いたのは、中曽根さんはどんなにハードスケジュールであろうと、飛行機の中、新幹線の中で、居眠りしなかった。分厚い本をカバンから取り出して、聞いたら『大嘗祭』の本だと言うんです。皇室典範や皇室の祭事について、付箋を貼って勉強しておられた。
当時、昭和天皇がご高齢で、しかもご病気でもあったので、総理として万一の事態を想定していたんでしょう。選挙期間中ですから『総理、お休みになられたらいかがですか』と進言したところ、『いや、村上君、いま私が総理としてやらなきゃならんことは、一点一字おろそかにしちゃいけない』と。『今は宮中行事を勉強しなければいけない』とおっしゃられた」
そうした中曽根氏の姿勢が、安倍氏とは対照的に見えるという。