クリスマス・シーズン真っ盛りである。街中のいたるところにツリーが飾られ、どこからともなくクリスマス・ソングが聞こえてくる。プレゼントを待つ子供ならずとも、なんとなく心が浮き立つ特別な一日。歴史作家の島崎晋氏が、「クリスマスの主役」の意外な発祥を解説する。
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毎年クリスマスが近づくたびに、「本場のサンタクロース」が話題になる。サンタクロースにお願いやお礼の手紙を出したいけど住所がわからないという場合、郵便局の窓口に持っていけば、ちゃんと教えてくれる。グリーランドやカナダなど、どこのサンタクロースを選べばわからないときは、北欧ラップランド、フィンランド北部ラッピ州の州都ロヴァニエミにあるサンタクロース村の住所を教えてくれる。
トナカイの引く橇(そり)に乗りやってきて、煙突から屋内に入るとなれば、やはりサンタクロースの本場は北欧かカナダと考えるのが、日本人なら自然だろう。
しかし、実のところサンタクロースの故郷はそこまで北極に近いところではない。モデルとなったニコラウスという聖職者は4世紀にギリシア南部にあった港町パタラで生まれ、長く司教を務め、永眠の地ともなったのは現在のトルコ南西部の町デムレ(旧称はミュラ)。パタラとミュラはどちらも雪など滅多に降らず、トナカイも生息しない地域だった。
ニコラウスは慈悲深く、恵まれない人びとを支え続けたことから、死後に聖人の列に加えられ、船乗りの守護聖人であると同時に、乙女や子供の守護聖人としてヨーロッパ中で広く信仰された。
キリスト教では聖人ごとの祝日が決められているが、聖ニコラウスの日とされているのは12月6日で、毎年その日になると、子供たちの一年間の言動を記した本を手に、厳めしい外見の従僕を連れて現われ、悪い子には従僕に命じて罰を与え、良い子にはご褒美としてプレゼントを与えると信じられていた。
日本のナマハゲにも通じるところのあるこの風習は、主にオランダ系移民によってアメリカに伝えられてのち、資本主義の波に揉まれる過程で従僕は消し去られ、罰を与えることもなく、もっぱらプレゼントを残していく現在のような形式になった。
トナカイに引かれた橇に乗り、赤い服に赤い帽子、赤い外套をまとった人の良さそうなお爺さんという風貌と出で立ちは、ドイツの挿絵画家モーリッツ・フォン・シュヴィントが1847年に描いたものが直接のモデルで、これまたオランダ系移民によってアメリカにもたらされ、普及したのだった。